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おてらつうしん

テレホン法話

テレホン法話11月下旬を担当させていただきました。

【テレホン法話】03-3997-0874
24時間お聞きいただけます。なお、通話料がかかります。

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『聞法と私の姿』

こんな声を時々耳にします。

「お寺に参って、法話をいただいている時は、分かったつもりなんだけれど、家に帰ったら何を聞いていたのかさえ、忘れてしまうので、困っています」と。


私も、自身を振り返ってみますと、真宗の教えを少しでも分かろうと、法話の内容をメモに取りながら、聞いておるのですが、そのような努力をしていても、なかなか頭には残らず、家に帰って、走り書きしたメモを見ても、自分で書いておきながら、それが何のことかよく分からないこともあります。


法話を聞いている際は、知識を得ようだとか、理解を深めたいだとか、あるいは人間的に向上したいだとか、そういう気持ちで臨んでいるので、その時は「聞いた」ということに満足してしまうのでしょう。


お寺にお参りしている間は分かったつもりになって、何やら満足があるけれど、家に帰れば、何も残りません。

そうすると困ったものです。

私たち人間は、何かしら結果が欲しいのでしょう。真宗の教えを聞いたら、救われた、たすかった、あるいは、真宗の教えが分かっただとか…


とある座談会にて、お二方のやり取りが深く印象に残っており、思い出されます。

ある方が言いました。

「以前は、夫婦間で喧嘩が絶え間なくありましたが、真宗の教えを聞くようになって、私の心は穏やかになり、喧嘩は全くしなくなりました。とてもありがたいことです。」


それを聞いたある方は、こう言いました。

「あなたはそうなったんでしょうけれど、果たして、心が穏やかになることが真宗の教えの効果なのでしょうか。

私は、自分を小石に譬えて言いますと、私の凸凹して尖っていた部分を、真宗の教えを聞くことによって、きれいに丸めていくことではないのだと思います。

真宗の教えを聞くことによって、ここもでこぼこしておった、ああ、こちらも尖っておった…と、凸凹の我が身を常に知らされていくことだと思うのです。」

こんなやり取りでした。


私自身、真宗の教えを聞いていれば、救われる、たすかる、あるいは真宗の教えの知識が身に備わって、坊さんになれる、…などと恥ずかしながら、そう思っていました。

しかし、このお二方のやり取りから、真宗の教えを聞いていれば、どうにかなるという思いは打ち破られました。望みや目的を叶えようとしたり、私の思いを満たそうとしても、決して間に合わないのです。

このお二方のやり取りによって、真宗の教えを自分の都合次第に間に合わせようとしている私の姿が照らし出され、私の心を揺さぶりました。

メモを取らずとも、覚えようともせずとも、とても印象に残り、私の耳の底にとどまっていることであります。


真宗の教えは、我が身の在り様を照らし、目覚ましめる仏法であって、望みや目的を叶え、欲望を満たす魔法ではないのです。


最後に、日めくりカレンダーにあった法語で締めくくります。

「聞法とは
     私が法を聞くことではなく、
                    私を法に聞くことである。」


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by douzyouzi | 2012-11-05 15:25 | 日記

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